鎌倉さんぽ 「古我邸」
鎌倉には大正時代より「鎌倉三大洋館」といわれる西洋建築を用いた素晴らしい洋館があります。
「鎌倉文学館」・「旧華頂宮邸」と今回ご紹介する「古我邸」の三つです。
既に先の2つの洋館には訪れたことがあるので、「古我邸」でコンプリート。
ちょっとばかりの嬉しさもあり。
「古我邸」さんは、鎌倉駅からわりとほど近い距離、「扇ガ谷」にありました。
閑静な住宅地の中に、突如と開ける「しぃぃぃん」とした谷戸の風景。
その突き抜けるように澄んだ青いあおい空と鎌倉の緑緑しい山が融合した情景は、心を「ぎゅぎゅっ」と鷲掴みにされたような素晴らしいもの。
「古我邸」というからにおそらく「古我さん」の所有されていた邸宅なんでしょう。
「えっと、こちら別荘なんですよね?」
と疑いたくなるほど広大な敷地。
「ゴロンゴロン」と転がり続けても永遠に止まることを知らない、いや、息切れしてしまうほどの芝生が広がっているのです。
自然なキャンバスの中に描かれた風景の中の中腹に「ポツン」と聳える巨大な洋館。
その美しさに「ヒュッ」と息をのみます。
昔から大切に保存されてきたものが、今もなおその息吹を継承し続けている。
なんて素敵なことなのでしょう。
一歩一歩洋館に近づいていくと、大正時代にタイムスリップするような心持ちになってくる。
とっても不思議な感覚です。
鎌倉における西洋建築のきっかけとなったのは横浜の居留地に住む外国人が、避暑、避寒、海水浴ができるリゾート地として鎌倉を訪れるようになったからだそう。
その後、1889年(明治22)にJR横須賀線が開通すると皇族や富裕層がこぞって西洋建築の別荘を建てたことで、鎌倉は美しい洋館が建ち並ぶ麗しい別荘地になったんだとか。
なるほど、そして文化人たちがどんどん移住してきたわけです。
そしてこの「古我邸」もしかり、1916年(大正5年)三菱財閥の要職にあった荘清次郎氏の別荘として建てられることになります。
その後昭和14年、実業家の古我貞周氏が取得。
以来、古我邸と呼ばれ親しまれています。
その後、貞周氏の後を継いだ信生氏とご夫人が住まわれていたが、信生氏亡き後はお手入れもなかなか大変なこととなり、平成25年に改修工事を経て、フレンチレストランへと生まれ変わったんだそうです。
とういうことで、現在は結婚式や記念日を祝うフレンチレストランとして絶賛営業中。
青ガラスのような澄み切った空の下、こんな歴史を感じる素敵な洋館で永遠の愛を誓う…
ロマンチックですよね。
愛は誓わなくても、確実に心は浄化されます。
今度は絶対にお食事をいただきに参ります。
ぜひ一度は訪れていただきたい、鎌倉オススメのレアな観光スポットのひとつ。