脱都心コンシェルジュ

海を楽しむ暮らしのコンサルタント

鎌倉トリップ「満福寺」

鎌倉市腰越の「満福寺」

744年(天平16年)、行基によって開かれる。

鎌倉のなかでも古いお寺のひとつ。

鎌倉の入口、腰越の小さなお寺が有名になったのは「義経」のおかげ。

歴史に疎い私でも一度は耳にしたことがある、「源義経」と「弁慶」。

そのゆかりのお寺と言われる「満福寺」。

源義朝の子であり、鎌倉幕府を開いた「源頼朝」の義母兄弟である義経。

日本史の中でもトップクラスの人気を誇る英雄である。

1185年、壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼした「義経」が、平家の総大将平宗盛を護送し、鎌倉に凱旋しようとしたが、兄頼朝は鎌倉に入ることを許さなかった。

頼朝への和解をするためにここ腰越の「満福寺」に留まり、許しを請うためにお手紙を書いた、といういわれのお寺。

それが「義経の腰越状」というものだそう。

結局、義経の想いは頼朝に通じることもなく、更に悪化し、ついには義経捕縛命令が出されることとなる。

なんだか切ないお話…

義経と頼朝は最期まで、心が締め付けられるような伝説が多く残されているんですよね。

賑やかな漁師の町、腰越の小さな路地を入ると、江ノ電の線路と共に満福寺が佇んでいます。

ひっそりしながらも存在感があって、とても興味を惹かれる。

階段を登ると、静かな雰囲気を纏い、心地良い潮風が吹く境内に大きなお堂が現れる。

その随所に、義経と弁慶にまつわるものが配されています。

一番に目に飛び込んでくるのは、腰越状をしたためる、義経と弁慶の像。

弁慶が書いた書状に、義経自らが筆をとって「敵のために命を亡はんことを顧みず」という文字を付け加えたため、下書きとして残されたものだといわれている。

なかなかのインパクトがあります。

本堂の欄間にも同じモチーフの彫刻があり、お見事なんです。

見つけるとかなり嬉しくてテンションが上がります。

コロナ渦で本堂の中は拝観できず、残念でした…

その他にも、弁慶の腰掛石や弁慶の手玉石、下書きの墨をするために水を汲んだ硯の池などなど。

コンパクトながらも歴史深さがヒシヒシと伝わってきて、楽しい。

腰越の海を一望できるロケーションの義経庵という茶房があり、腰越のしらす丼や朝摘みハーブティーなども楽しめるようですよ。

次回は是非訪れてみたいものです。

こんなところに満福寺の石碑。

踏切の奥に階段が。

カンカンカン

お寺の目の前に江ノ電。

御霊神社みたいですね!

かっこいい本堂がみえます。

ドドドドーーーンと本堂。

欄間、中央部の彫刻に注目です。

義経と弁慶

下書きしている弁慶を義経が見守っているところでしょうか。

慈悲観音さま

義経公手洗いの井戸

硯の池

墨をするためのお水を汲んだとか

鐘楼

  • Facebookでシェア