鎌倉トリップ「薬王寺」
鎌倉市扇ガ谷の住宅地はとても奥が深い。
一体幾つの素敵な寺院が隠れているのか…。
と思うほど、気が付けばまた、いつの間にかお寺に辿り着いているという。
この辺りは本当に歴史深い町なのです。
ここは徳川家・蒲生家ゆかりのお寺「大乗山薬王寺」。
元は真言宗の夜光寺でしたが、日像により日蓮宗に改宗し、その後、中興開山の日達によって「大乗山薬王寺」となりました。
江戸時代、寛永年間、三代将軍家光の弟である駿河大納言徳川忠長は、粗暴な性格のため28歳で切腹させられます。
悲しんだ妻の松孝院(織田信長の次男、信雄の息女)は薬王寺において供養し、追善供養のために供養塔を建立しました。
寺紋にも徳川家の三葉葵が用いられていることから、格式高いお寺とされ、一般庶民の埋骨も許されなかったんだそう。
私もその時代に生きていたのならきっと、ご参拝をするなんてことは儚い夢と散っていたのだろう。
今の時代で良かった。
春の訪れ間近の境内は、厳かな雰囲気と温かな空気が緩やかに流れる。
あちらこちらの木々に蕾がほころび始めていた。
甘い香りがどこからともなく届く。
どこからなのかな?なんて辺りを見渡しながら歩を進める。
私は、この時間がとても好きなのです。
豊かなこの時をかみしめながら、本堂の階段を上る。
そして本堂の扉の隙間から「日蓮聖人坐像」を覗いてみると…
1834年(天保5年)、将軍家斉の命によって造られた裸像で、本物の法衣袈裟をまとっている。
説法をされてる口を開けた珍しい日蓮さんの、まるで息をしているかのような装いに、思わず「ヒュウっ」と息を飲んだ。
じぃっーと見つめたあと、静かに合掌をする。
その本堂の脇には、美しい菩薩像が。
この「薬王寺」は庶民は参拝できなかったが、境内の一角に設けられた「薬王菩薩像」だけは、身分に関係なくお参りできたという。
右手を長く差し出し、薬壺(やっこ)を持ったその姿から「さしのべさん」の名前で民衆に親しまれていたんだとか。
私たちの悩みや苦しみを受け止めてくださるありがたい菩薩さま。
そしてその「さしのべさん」(毒消(どっけ)し薬王菩薩)は、関係者によって昨今再建がなされ、今もその穏やかなお姿で本堂のすぐそばに佇んでいらっしゃるのです。
きっと日像上人もこの情景に、日々癒されたことでしょう。