鎌倉トリップ「龍口寺」
藤沢市片瀬の「龍口寺」
毎年9月、盛大に行われる「龍口法難会」。
必ずそのお祭りに足を運んで、威勢の良い「まとい」に目を奪われ、参道沿いに沢山建ち並ぶ屋台に目移りし…
汗ばむ夜に冷えたビール。
友人達と笑い合いながら夜通し過ごす。
そんな活気あふれる、賑わいのお祭りが行われていたこの「龍口寺」。
ある日の梅雨の合間、ふらりと訪れてみて知ったこと。
そう、この地はかつて鎌倉時代、罪人を斬首する刑場であったと…
その名も「龍ノ口刑場」。
ど、どきどき。
そ、そうだったのか。
さかのぼること、鎌倉時代後期、日本は内乱や蒙古襲来、飢餓や疫病の蔓延など、様々な脅威に包まれていました。
それらを憂えた日蓮聖人は、『立正安国論』を著し、幕府に奏上する。
しかし、幕府はこれを政策への中傷であると捉え、文永8年、9月12日、鎌倉松葉谷の草庵にて日蓮聖人を捕らえ、市中引き回したうえ、刑場であった龍ノ口へ連行したそう。
処刑をされる直前まで土牢に入れられます。
その土牢も龍口寺に残されていて。
少し覗いただけでもなんだかソワソワしました。
日蓮聖人は幕閣から異議がなされ、処刑中止を求める意見も多かったにも関わらず、処刑は決行される。
翌日子丑の刻、土牢から引き出された日蓮聖人は敷皮石に座らされ、いざ!という瞬間、江ノ島の方角より光るものが飛び来たり、死刑執行の役人たちは目がくらみ、恐れおののき倒れ、斬首の刑は中止となったという。
龍ノ口刑場で処刑中止となったのは、この日蓮聖人をおいておらず、以来、この出来事を「龍ノ口法難」とよぶ。
なるほど、そういういわれがあったんですね。
と、まさに!
その時の伝説がお祭りとなっていたということ。
何もしらずに呑気にこの地のそばに住んで、お祭り騒ぎだけ楽しんでいたけれども。
すみません…。
でもこれで言われも理解し、今後はきっと違った形で臨めるはず!
本堂内は荘厳な装飾が施され、御本尊、持国天、毘沙門天、六老僧の像、刑の執行時にすえられた敷皮石などがあり、霊跡本山に相応しい風格があります。
本堂背後の山には1910年(明治43年)に建立された木造本式五重塔が。
剛健な風格を感じる立派な五重塔なんです。
本堂の裏手を覗いて、「ほほほぉ~、あれが神奈川県唯一の五重塔か~」なんて心の中で呟いて。
最後に、本堂左手にある龍口寺の「鐘楼」に向かいます。
参拝者でも撞けるというこちらの延寿の鐘。
お題目(何妙法蓮華経)をお唱えして あまり力を入れず 一回お撞きください
という指示に従い、一礼して心の中でお唱えし、ゆっくりと撞いてみました。
「ゴォォォォォォォォォォンンンンン」
優しい音色が響きました。
何だか晴れやかな気分になり、心軽くなった気がします。
重々しい歴史が深く残る龍口寺。
長く続く梅雨の少しの晴れ間のことです。