鎌倉トリップ 「材木座の寺社巡り〜Part.1」
海をこよなく愛する人々の聖地、「材木座」。
古き良き町並みは美しさを営み、訪れる人々を魅了してくれます。
自然と共に上手に暮らし、気取らない人が多く住まう、「材木座」の町は、いつも笑顔で溢れている、そんなイメージ。
そもそも「材木座」とは?
その由来は鎌倉時代に遡る。
当時の鎌倉には、「座」と呼ばれる、販売や製造の独占権をもっている商工組合のようなものがあり、鎌倉七座(米座、相物座、博労座、炭座、材木座、絹座、千朶積座)があった。
「材木座」はそのひとつであり、鎌倉幕府で必要とした大量の材木が船着場である和賀江島に運ばれてきて、この付近に材木の「座」として存在していた。
江戸時代は、材木座村と内陸側の乱橋(みだればし)村に分かれていたが、のちに合併して大字「乱橋材木座」となり、これが今も材木座(一丁目−六丁目)となって残っているんだそう。
ちなみに「材木座」には鎌倉と源氏の原点もあります。
平安時代に、河内源氏二代棟梁の源頼義が前九年の役の勝利に感謝するため、源氏の守り神である京都の石清水八幡宮の祭神を移し、祀ったのが「由比若宮」。
これを源頼朝が現在の鶴岡八幡宮の地に遷し祀り、鎌倉幕府の象徴としたようです。
かつての石清水八幡宮「由比若宮(元八幡)」は今も尚、材木座の小さな路地に佇んでおります。
その影響もあってか、ここ「材木座」には小さな寺社がたくさん点在しているのです。
そこで、私は思い立ち、「材木座」のその全貌を回ってみることにしたのです。
まずは逗子との境界線、「光明寺」周辺からスタート。
蓮乗院、千手院、九品寺、実相寺、五所神社(おまけ)とのんびり歩いた記録。
そして、「材木座の寺社巡り〜Part.2」に続きます。